【 昭和世代訃報 】6代目三遊亭圓楽 2022年9月30日 72歳

雑記
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2022年9月30日。三遊亭圓楽師匠72歳の訃報です。とてもショックであり悲しい出来事です。
私が子供の時には親が笑点を見ていたので私も必ず見ていました。圓楽師匠がまだ楽太郎さんの時にマラソンの瀬古選手に似ているネタをやってる頃から知ってるので、圓楽師匠というより楽太郎さんの方が(私には)馴染みがあります。

私の楽太郎さんに関する記憶では、やはりというか桂歌丸師匠との悪口罵倒合戦が大変面白かったです。お互いに悪意あるネタを言われても面白ければそれなりに笑う。が、ただじゃ済まさない。即座に悪意ネタで切り返す応酬に笑わせてもらいました。大抵の場合、楽太郎さんが歌丸師匠を罵倒して口火を切り歌丸師匠が反撃する構図ですが、時たま歌丸師匠が楽太郎さんを罵倒して口火を切ることもあり油断できません。時には他のメンバーに罵倒が飛び火したり或いは積極的に参戦したりして延火したり。

見てて思うのが、罵り合っていてもお互いに尊敬や敬意がどこかにあり、楽太郎さんは本当に歌丸師匠が大好きなんだろうなと感じられました。罵倒にはバカとかアホ、間抜けとかいった簡単な罵倒語は一切ありません(これらの言葉は悪意しかない、罵倒のための罵倒語)。今で言えば弄り(いじり)に近いようなもので、相手の身体的特徴などの鉄板ネタを想像力を駆使して凝った表現で会場の笑いを取りつつ相手を貶める勝負というか。また鉄板ネタを様々な角度から新しい切り口を見つけては広げていく、誰かが偶発的に落としたネタを拾ってはつなげて、会場の受けを取りつつ相手をいかに怒らせるか&感心させるか、ということへの飽くなき探究心と労力や時間は裏を返せば

どこか上品で慇懃な雰囲気のある歌丸師匠自身も誰かを貶めるネタは嫌いではなく、というか実はかなり得意だったのではないでしょうか。師匠や協会での立場もあるのでなかなかそういう類の能力は発揮できませんでしたが、罵倒を受けて反撃という名目を与えてくれるのが唯一楽太郎さん。罵倒されて反撃する歌丸師匠も実に活き活きしてました。上品で慇懃で目上格上なのにむきになって反撃する歌丸師匠がみんな大好きでした。

歌丸師匠の場合、お題を聞いて楽太郎さんが仕掛けてくる罵倒を予め想定していたと見え、何通りかの切返しを用意していたように思えます。罵倒が想定の範囲ならとても冷静にその罵倒に応じた切り返しをします。楽太郎さんもその対応をされたら自分の罵倒が予想されていたと悔しい。楽太郎さんはいかに歌丸師匠の想定を超えた罵倒をするか常に新基軸の罵倒を編み出し、歌丸師匠は楽太郎さんの罵倒回答の範囲を想定します。見てた限り流石の歌丸師匠でも理不尽なこじつけや無茶ぶりは想定できないようで、その取り乱しっぷりと楽太郎さんへの突っ込みが会場の笑いを一気に誘います。それ見て一番面白がってるのが楽太郎さん。歌丸師匠は挙手・指名から用意してた切返しで一番ひどいのを躊躇なく披露して会場の笑いを倍増させます。それを聞いて苦笑いとお見事のないまぜの顔する楽太郎さん。歌丸師匠、やり返したと思ってたら他のメンバーからまさかの被弾を受けてますます取り乱しからの反撃の流れ。念のため用意していたのか即興で考えたのかきっちり切返して負けっぱなしがないのが歌丸師匠。そこに割って入ってあえて場をグダグダにして収拾を試みる喜久蔵(喜久翁)師匠とこん平師匠。これぞ笑点大喜利ですね。

これまで私は歌丸師匠、楽太郎さんと明記しています。楽太郎さんは6代目三遊亭圓楽師匠でありますが、私の中ではやはり一門が違えど歌丸師匠と弟子の楽太郎という図式がしっくりきます。というか師匠と弟子という関係でもないような何か。深い所でお互いの立場や身分や芸歴を最大限に尊重しつつ、ある側面では否応なしの化学反応的な呼応、MIXUPとも呼ぶべきお互いの高め合い。底意地の悪さを公然と競い合い、その想像力と発想を認め合う独特のルールの共有と絆が確実に圓楽師匠と歌丸師匠にはありました。最近の圓楽師匠の入退院の映像でありました。

私は3度もICU集中治療室に入っている
なんでこんな目に合うのか?

全部歌丸が悪い

笑ってはいけないだろうけど笑いました。歌丸師匠が聞いたら「あたしゃ関係ないだろ!」と立ち上がって激高しながら文句言ってる様子が目に浮かびます。圓楽師匠も自身がそういう状態になりながらもネタとして面白く、文句言ってる歌丸師匠を想像してつい面白がってしまうんだろうと思います。それほどまでに圓楽師匠は歌丸師匠のことが大好きだったと思います。そんな歌丸師匠大好きな圓楽師匠、のことが大好きな私、もまた居るのです。

三遊亭楽太郎(6代目三遊亭圓楽師匠)さんは私にとって記憶の一部であり、歌丸師匠との愛ある罵倒合戦の奥にあるお互いの尊敬と敬意を払う気持ちは私が成長する中で決して軽くはない糧でした。昭和に産まれ昭和に育った私にとって三遊亭楽太郎さんはご冥福をお祈りいたします。

迎麻1UPらっきー

迎麻1UPらっきー

レトロゲームの追憶、IT系、自身の近況、フィットネスについて書き綴ります。記事へのコメントなどはX(旧Twitter)まで。

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