タイトー
発表年:1986年
どんなゲーム?
- ド派手なパワーアップ
- 撃ち漏らした敵は母体のダメージに蓄積
- グリーンを中心としたクールな色合いの画面
ハレーズコメット ゲームレビュー
原文(旧レビュー原文)
ハレー彗星の接近が巷の話題になっていた頃明らかに狙ったタイミングで登場したスペースシューティングもの。ゲームそのものはオーソドックスな縦スクロールものでパワーアップは順次ショットが強力になっていくものですが、味方のシャトルを拾って自機の護衛につけてワープボムにして結構非道い。撃ちもらした敵がいると地球に対してダメージとなり、蓄積していってダメージが100%に達すると残機があってもゲームオーバーという設定です。このゲームはかなりやりこんでいた方でスコアも500万点以上はいきましたが、別のゲーセンでそれ以上のハイスコアを見た時凄い奴がいるもんだと感心して、それからゲーセンでの不特定多数相手のスコア勝負が面白いと燃えるようになります。DON’T ERASE!
ハレーズコメット タイトーのド派手なシューティング
タイトーの縦スクロールスペースシューティング。今でこそタイトーのシューティングと言えばダライアスシリーズですが、当時タイトーからこうしたシューティングが出てくることが少し意外な感じでした。らしくない、というか。ナムコのギャラガのようなゲームを作れとの指示で制作されたとの記事がwikiにあります。
ゲームのルール
- 自機を操作して敵機を破壊
- ボスを撃破して面クリア
- 撃ち漏らして画面下にはけた敵機は惑星へのダメージになる
- 惑星のダメージ蓄積が100%で残機があってもゲームオーバー
とてもオーソドックスな縦スクシューティングですが一点このゲーム独特のルールが敵機の見逃しが守護対象へのダメージになるところです。これは画面右端のレーダー俯瞰図でも確認できます。レーダーでは迫り来るハレー彗星を前に撃ち漏らした敵が自機の後ろの惑星にぶつかる様子が確認できます。敵の攻撃に押されて回避がちになると撃ち漏らした敵がガンガン惑星にぶつかっていく様はなかなか緊張感持てます。
その魅力の数々 私がハマった訳
このゲームは原文でも書いている通り結構やり込みました。私がこのゲームに魅せられたポイントがこちら。
- ド派手なパワーアップ
- わりと避けやすいくせの少ない敵弾
- 特に決まったパターンはない
- グリーンを中心としたクールで無機質な画面描画
- 独自のフォント表記
見せ方、まとめ方が総合で秀逸だったのかと思います。
BGMが良いと挙げる人もいますが、現役稼働当時はゲームセンター屋内の音量は相当なもので、正直このゲームのBGMまったく聞こえませんでした。
再び原文でも書いている通り、スコアも500万点くらいいきましたが別のゲーセンでそれを超えるスコアを目にします。なるほどな、と。以降私は常にハイスコア狙いの全力投球でプレイに臨むようになります。私にとって初めて明確にスコア勝負を意識させてくれた思い出のゲームでもあります。
上には上がいるもんだと!
原文の最後に書いたDON’T ERASE!の意味が分かった方はいるでしょうか?あれは隠し遊びで?ステージ開始画面に出るメッセージまで自機を移動させ(ショットボタン押下が必要か、不要かは忘れました)ると自機でメッセージを消しゴムで消すように消すことが出来ます。その時に追加メッセージが表示されてDON’T ERASE!(消すな!)です。なんだかこのゲームの作者が身近に感じる仕掛けです。ちなみに絶対やってました。
ハレー彗星あれこれ
このゲームは1986年当時に76年ぶりに地球に接近したハレー彗星がモチーフです。当時はテレビでハレー彗星とは何ぞや的な番組が世間を賑わし、宇宙科学方面で観測やら研究やら盛り上がっておりました。
1986年から前回の1910年のハレー彗星接近の時はあるデマで自転車のチューブが売れまくったそうです。そのデマとはハレー彗星の尾が地球に被ると有毒ガスで死ぬ、というものだったそうです。なので尾が被っている間、自転車のチューブの中の空気を吸って凌ごうとする人たちで大混乱だったとか。100年以上前の1910年は明治43年です。その頃はまだハレー彗星の研究は進んでいなかったのでしょう。
宇宙はまだまだわからないことだらけだね!
…と、宇宙人が申しております!
MTJさん
今回レビューを書くために色々とサイトを見ましたが、その中で三辻富貴朗さんが2008年に亡くなっていたことを知りました。三辻さんはこのゲームや同社のバブルボブル、フェアリーランドストーリーといったヒット作を手掛けたデザイナーです。MTJという名前でハイスコア欄やエンドロールに登場したり、ゲーム雑誌でもちょいちょい名前出てきたりして、ゲームの作り手が身近に感じる珍しい存在の方でした。三辻さんの携わったゲームで私は間違いなく10代の時間を過ごし思い出を貰いました。今更ですがご冥福をお祈りします。